TOP > 専門家の正体 (2004/3/28)
公認会計士は、会計及び監査の専門家とされている。
専門家ってなんなんだろうか、と考えることがある。
たぶん、それは、
その専門分野の事柄につき、エイヤッと第六感で判断できる能力を持つ人
なのだ。
そしてそれを、多少強引でも理論的に説明できる
ことも必要である。
そう、これこそが、暗黙知と呼ばれるものだろう。
ドキュメントに書いてあるものを理解するのは頑張れば誰でもできるだろう、しかし、具体的な事柄につき、しかもそれがドキュメントに書いていない事柄の場合、専門家はいろいろ理屈をつけて判断をするわけだ。しかし、その理屈付けは後付けであることが多く、ほとんどは、最初に直感的に判断をしているのだ。これについては、裁判官もそうであるとよくいわれる。
この第六感は、知識だけでは当然だめで、ある程度以上の経験が必要となる。この経験から第六感を養う能力こそが専門家としての最も大事な能力であろう。(もっとも経験だけでもダメであり、系統だった知識は必須である)。
実はこの「経験から第六感を養う能力」というものが、人によってかなり違う。同じ経験をしても、ぼーと見過ごす人と、どえらい教訓を導く人がいる。しかも、どえらい教訓を導くのが絶対的にいいかと言えば、それが固定観念になり、違う失敗をしてしまう場合もまた多い。(「頭のいい人ほど失敗する」「がんばりすぎる人が・・・」などの本のタイトルはたいていこのへんが題材である)。なんとも難しいものだ。だからこそ使える専門家を養成するのに皆、苦労するのであろう。(最近の医者の医療事故なんて、それが原因であることも多いように思われる)
しかしまあ、ぼーと見過ごす人とどえらい教訓を導く人とどちらが一般的に専門家向きかといえば、やはり、どえらい方だろう。
ひとたび専門家として活動をするのであれば、小さな事例であっても、自分が向き合った事例はしゃぶりつくし、全知全能を傾け、次の仕事へ生かしていかなければならないだろう。そして、次のステップとして、より高度な失敗をしないために、常に初心に帰り、「当時のあの経験から得たものは、実は間違いではなかったか?」と自問自答することが大切なのだ。
人間は必ず誤りを犯す。経験からどえらい教訓を導き出したとしても、実は、それがどえらい間違った固定観念を持つことになることもあるのである。人間は、未知の事象に出会った時、過去の類似の事象との共通点を探る。そうして理解を深める。「ああ、なるほど、この部分は、過去の経験のあの部分と同じだな」と。これが、受験勉強ではたいへん役に立つ(Spok'sLogT 本質は流用できる)のだが、実務となると、そう単純ではない。このバランスが重要なのだ。
もっとも頭の固い専門家として生きていくのであれば、どえらい教訓を導くだけで生きていけるだろう。それが世間一般の「専門バカ」なのだから。
しかし、チームを率いたり、ある程度ビジネスマネジメント行っていくためには、(私はこれが真の専門家と考えている)
A 事例を詳しくマニアックにしゃぶりつくし、そこから暗黙の法則を見つけたり、当てはめのできる緻密な専門的能力
B 実はその能力によって得たものをまっさらの素人の目線で疑う能力
という矛盾する能力をバランスよく発揮することが必要になってくるのである。
たいていの専門家(バカ?)は、Aどまりである。Bまで発揮できるかどうか、が、本当に人の役に立つ「エイヤっの判断」ができる専門家であるように思う。
尤も・・・。
多くはAバカでプロという商売が成り立つのも事実である。
世にあふれる書籍や専門家の言葉を聞けば、それはほとんどAバカのものであり、十分に商売になっていると思われる。
Bの目線は、むしろ経営者幹部がかくあるべき能力といわれることが多いようである。つまり、専門バカをうまく操縦せよと。そう「バカとハサミは使いよう」なのである、ということだ。(適材適所=専門バカをうまく使え)
え、私?
「言葉と行動は全く別物である」
という原理からお察しください。
ただ、常に言行一致となるよう努力していることだけは間違いありません。
でも努力していることと、どの努力が正しく機能していること、その努力が実ることとは、これもまた全くの別問題です。努力するのなんて当たり前なのでね。
専門家の正体なんてこんなもん・・・かな。皆さんは、どんな専門家になりたいと思うだろうか。
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