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学問の本質とは

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 「勉強する」ってどういうことなんでしょう。我々が学ぼうとする「学問」あるいは「試験科目」あるいは「知識」って一体なんなのでしょう。

 そのカギは次の言葉にあります。

 「イメージ」

 我々が試験、実務に必要な知識の正体とはなんでしょうか?それは、文字の羅列を丸々覚えこむものではありません。もし、知識の正体が文字の羅列であるならば、それが得意なコンピューターは楽々と試験に受かり、実務もこなすはずです。しかし、そうじゃないですよね。コンピュータはあくまでも人間の補佐であり、現実の試験も実務も人間しかこなせないのです。
 我々人間にやれて、コンピューターにできないこと。それはイメージの構築です。イメージ理解です。イメージ思考です。あなたにも、試験の7科目でなくても得意な勉強科目があるでしょう。いや勉強でなくても、車の趣味でもスポーツ、子育てでもいいのです。得意な分野での自分の思考方法を考えてみてください。細かい文章の羅列(細かい知識)や細かい技術論は、その分野を得意にする上で一番大切なものではないことが、まるで世界の真理のように、明確にわかるのではないでしょうか?きっと、得意分野での思考方法は、なんとなくの本質と感じるイメージがあり、その分野を流れる共通の軸のようなものが感じられ、その中をさらに自分の意識が泳ぐような感じではないでしょうか。そして、そのあなたの得意分野を、他の人がはじめて学ぼうとする時、なんともどかくしく感じられることでしょう。ああ、私のように本質をつかんでしまえば、もっともっと楽なのに・・・・、と。それはすべてのものごと、すべての勉強、すべて会計士試験に通じる出来事なのだと思います。
 あなたは、得意分野を得意にする過程でどういう風にしましたか。それを分析すると有意義です。今から考えればずいぶん無駄な事をしたな、と感じるかもしれません。逆に、なんの苦労もいつのまにか習得したかもしれません。とにかく、ふりかえり、分析してみてください。そこに短期合格へのビクトリーロードが潜んでいます。
 得意分野でのイメージ思考が理解していただけたでしょうか。
 知識の正体は、この記述することの難しいイメージであり、勉強とは、このイメージを構築することに他なりません。そして、私の文章を含む、テキスト、基本書等の言葉、数式は、すべてこのイメージを伝送するための手段でしかないのです。だから、全部を丸暗記したところでイメージが構築されなければ、なんの役にも立たない、ただの覚えるコンピューターと変わらないのです。
 基本書、テキストに、よく図解や表、グラフなどが使われていますよね。実は、筆者が意識しているか否かはともかく、筆者が読者に伝送したいイメージをなるべく効率的な形で送りたいという意識の表れなのです。だから、基本書等に挙げられている表、図、グラフなどを実感としてイメージ理解することはとても重要なのです。
 逆にいうと学問とは、得体の知れないイメージを言葉や数式で記述し、多くの人間に伝えようとすることなのです。短い言葉では表せないものを、言葉を何百ページも重ね合わせ、数式を駆使し、データを提示することで、イメージ伝達しようとするものなのです。
 具体的なレベルに落として言うと、たとえば財務諸表論は、得体の知れない概念上の存在である企業というものをいかに正確に写像しようとするかに兆戦する学問であり、量子力学は得体の知れない物質やエネルギーというものを、いかに正確にその本質を記述するかに挑戦する学問であり、・・・・すべては、イメージ伝達にチャレンジしているのです。
 では、どのようにすればこの本質的なイメージを構築することができるのでしょうか。
 人によってその方法は千差万別であり、最も早い方法は、すでにある得意分野の方法論をもってきて応用することだと思います。
 その応用がない場合やうまくいかない場合はどうでしょうか。
 仕方ありません。そのイメージを構築することをいつも意識して、文字の羅列を読み込んで行くしかないでしょう。テキスト、基本書の文字、表、図、グラフをイメージ構築のために利用すると、明確に意識すれば、きっとあなたのイメージは、最初はさらさらした水のようなものから、変化自在のアメーバのようにきっとなることでしょう。
 この言葉というもの自体、人間の思考を間接的に他者に伝達するための手段に過ぎないのです。テレパシーが使えればいいでしょうね・・・・。
 余談ですが、今後イメージ思考ができるコンピュータができた時、コンピュータは人間のライバルになると思います。

 以上のことは、経済学で学ぶ一般均衡にある程度似ていると思います。人はそれを複雑系と呼んだり、システムと呼んだり、連鎖と呼んだり、風が吹けば桶屋が儲かるといったのではないでしょうか。
 これに似たことは私が幼い頃から、私を悩ませた問題でした。そもそも「アメリカ人は何語で考えるのか?」という子供にありがちな疑問の延長から出てきたのです。小学校の頃、アメリカ人も日本語で考えて翻訳して英語をしゃべっていると、本気で思っていたのです・・・・。閑話休題。


 私の場合、このイメージ構築のために基本書が最適だったのです。ここから絶対!基本書主義が生まれました。


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