出来ない理由を探すのではなく.....

2022/07/27
よくある自己啓発系のお言葉
「できない理由を探すより、できる方法を探してみよう」
「金がないからできないではなく、金がなくてもできることを考えよう」

一方で、部下からみると、「精神論ばかりの上司の言葉。具体的な解決策も指示もない。これがマネジメントとして優秀と言えるのか。」という批判もよく目にする。

ブラック企業も言う「出来ない理由ばかり言うな!できる方法を考えるんだよ!」

東条英機も言う。サイパン島陥落後の言「正に、帝国は、曠古*1のない重大局面に立つに至ったのである。しかして、今こそ、敵を殲滅して、勝を決するの絶好の機会である。」

「だが、つづく箇所を読むと、それが空虚な精神論にすぎないことがわかる」「国力も足りない。物資も足りない。明らかに米英のほうが強い。必敗なのに、必勝と言わなければならない。ではどうするか。精神力だ。ピンチはチャンスだ。われらに秘策あり。こう叫ぶしかない。狂気とも思える言動はある意味で、合理的な帰結だったのである。」*2

さて、どちらが正しいのでしょうか。そもそもこれらの言説の正しさを追求すべきなのでしょうか。

「できない理由を探すより、できる方法を探してみよう」が批判されるのは、「何を」できるようにすることを所与の前提としている場合にあるように思う。

「所与の何を」に囚われる限り、「できる方法」は、夢物語となる。

「所与の何を」をするのは、そもそも何の目的を達成することでしたっけ?
そこを疑い、「さらに上位の何を」を探すことができれば、そしてそれを達成するための新たな選択肢を探す余地があれば、道は開ける可能性が高いでしょう。

すなわち、「できない理由を探すより、できる方法を探してみよう」ではなく

「できない理由がたくさんあって身動きとれないなら、まず目的を疑ってみよう。そもそも我々は何をしたいのか」

ではないだろうか。

公認会計士試験に受かるために何をすべきか。

時間がない。他によることがある。大学の勉強、仕事、子育て。。。。
いやいや、その制約の中で、どうすれば合格するかを考えるんだよ、というのが思考の第一歩。

それがどう考えてもダメであれば、そもそも公認会計士試験に合格することがなぜ必要なのか、を考えなくてはいけないでしょう。

どうすればできるか、できないなら、なぜそれを達成する必要があるのか。
そこまで考え尽くした時に、決断はできるように考えるきょうこのごろです。

その点、「できない理由を探すより、できる方法を探してみよう」という言説は、二次元の直線から三次元を想像できない"点の描写"であると思います。

戦争になぜ勝つ必要があるのか。という疑問を東条閣下に言えば粛正されるかも知れませんが、「戦争に勝つ」ということはどういうことか、戦争に負けても長期的に勝つこともできるのではないか、そもそも勝つ必要はあるのか、負ければただ悲惨なだけの国民となるのか、日本国や文化というものを失うことは全ての敗北であるのか、我々が守るべきものはなんであるのか。

当時の人々も考えたと思います。ただそれを表に出せば自らの命が危ないという状況はあったでしょう。

何か話しが大きく飛躍してしまいました。
私は基本的にリベラルを自称していますが、一方で体制どっぷりの公認会計士でもあります。

ひとりの人として一様ではなく、矛盾ばかりを抱えた人生。
きっと他の人も似たようなものだろうなと思いつつ、他者に優しくありたく、でも、真の仲間には厳しくもありたく、矛盾の人生を歩んでいます。

*1 : 前例のないこと

*2 : 超空気支配社会kindle版P19辻田真佐憲 文春文庫